
琉球大学での卒論
2017年の5月5日、シカゴから中部国際空港行きの飛行機に乗って帰国しました。実家で数日間過ごしたのち、すぐに沖縄へ。
というのも、4年生時にまだ座学の履修を数単位残しており、5月8日の講義から全て出席すればその年に卒業ができる状態だったからです。
一般に2学期間の留学に行くと留年する場合がほとんどですが、留年はしたくなかったので、その年度に卒業できるようスケジュールを組みました。
研究室には留学前にすでに配属されていたので、ようやくそこでの本格的な実験が始まりました。研究テーマは「クラミドモナスにおける細胞壁合成酵素 UDP-sugar pyrophosphorylaseの機能解析」です。
クラミドモナスはミドリムシと呼ばれる微細藻類のような生物で、現在の陸上植物の祖先に当たります。
陸上と海中では成長段階において細胞壁を合成する酵素が同じように働くのか、異なる働き方をするのか、ということを明らかにすることが長期的なゴールでした。
地方大学ではよくあることかもしれませんが、私の卒業研究は博士課程の学生の実験の1部という位置づけであったため、初めからやるべき実験が決まっており、ひとまずそれらのデータを出し切ることがゴールでした。
もちろんデータの解釈をする必要があるので、研究の全体像を理解し、日々のディスカッションを行う必要があります。
しかし、大学院進学率が20-30%の学科であり、先生達も多くの研究費を獲得できている訳ではなかったので、ラボの雰囲気や実験環境に物足りなさを感じていました。
東北大学へ進学することを決めた
「今の研究は楽しいですが、仮説を立ててそれを探求できるような研究をやりたいです。」
ミシガンへの留学を後押ししてくれた当時の指導教官にそのような話をすると、大学院の進学先としてふさわしい研究室をいくつか挙げてくれました。
院試まであまり時間はありませんでしたが、その中から興味のある2つのラボに話を聞きに行き、最終的に東北大学へ進学することに決めました。
東北大学の先生はその分野の大権威で、近年は大型研究費の獲得などで分野へ多大なる貢献をしていました。
1フロア丸々1つのラボの設備だったので、「こんなにいい環境があるんだ」と感動したことを覚えています。
琉球大学では2つの長机を3人でシェアしていたのに、東北大のラボでは一人1つ机がもらえます。ベンチも同様です。
ファルコンチューブも何度も何度も洗って使う必要もありません。
大腸菌培養用のシェーカーも学科で1つではなく、ラボの中に5台以上あります。
ダメ押しはハーゲンダッツです。一通りラボを案内された後、人生で数回しか食べたことのないハーゲンダッツを出され、完全に心が決まりました。
今思えば本当に浅はかでした。研究力は資金ではなくラボを構成する人にあることを知っておくべきでしたし、ハーゲンダッツが食べられるかどうかなんて研究に1mmも影響を与えないことを自覚するべきでした。
そうとは知らず、意気揚々と東北大学の院試を受け、合格を果たし、「ついに自分にふさわしい環境に飛び込める」と天狗になるのでした。
指導教員の何気ない一言がケンブリッジを強烈に印象付けた
その後は琉球大学での卒業研究を淡々と進める毎日です。
朝6時から8時まで同じラボの後輩と朝の勉強会をし、毎週金曜には輪読会を開き、純粋に研究活動を楽しみました。
研究室にも毎晩10時頃まで残って実験をしていました。
ある夜、指導教員が帰りがけに話しかけてくれたので、研究者としてのキャリアについてアドバイスをもらいました。
その流れで博士課程はどうすればいいのかを聞きました。
ミシガンに行ってから、出来ることなら海外大学院に行きたいという思いがあったので、そのことを話すと「ポールのところに行きなさい」という返事が帰ってきました。
ちょうどその直前に、そのラボからでた画期的な論文(Folding of xylan onto cellulose fibrils in plant cell walls revealed by solid-state NMR)を読んでいたので、「行けるチャンスがあるなら挑戦したい」と心に火が灯りました。
ケンブリッジの入試がどのくらい難しいのか、ケンブリッジでの研究生活がどんなものなのか、その時は遠すぎて何もわかりませんでした。
ただ、可能性があることを示された以上、挑戦せずにはいられません。それから密かに情報を集め、2018年秋の出願に向けて準備を始めました。(続く)
【補足】ちょうどこの頃初めて同分野の研究会に出してもらいました。他の学生の研究発表を聞いて大きな刺激を受けたことが鮮明に思い出されます。
