2021年7月(博士過程1年目)に最初の研究論文を発表することができました。
この研究では植物病原菌の持つマルチ銅タンパク質の生化学的特性を調べ、別種のマルチ銅タンパク質との機能的な違いを生み出す原因を考察しました。
学部生の頃から、「どうやったら論文をかけるようになるのだろう」と疑問に思っていたので、あくまでも1つの例として他の方々に参考にしていただけるよう、最初の論文を出版するに至った流れを記録しておきます。
研究計画を立てる
今回の研究はM1の時に研究計画をたて、M2で実験、D1で論文書き・投稿を行いました。
M1では既にメインテーマとして別の研究をしていましたが、友人から「笹川科学助成に応募する上で、共同研究者として参画してほしい」という依頼を受けて、この研究の構想を練り始めました。
幸いにも助成に採択されたのですが、申請者となっていた友人が採択されたフェローシップの併給規定に引っかかっていたため、最終的には辞退をし、研究は予定通り行いました。
研究計画を立てる上では、申請者の研究(マンガン酸化能を持つ微生物の研究)をサポートしつつ、自身がファーストオーサーとしても進められるよう2テーマを同時に走らせる形にしました。
その結果、私は自身の専門分野である「植物細胞壁」と「マンガン酸化酵素」の関わりを調べようと決めました。
時間や研究費の制約が大きかったので、なるべくストレートにデータが蓄積されるよう、どの実験をいつやるのかということ明確にし、研究を開始しました。
M2でラボを変えた際に、指導教員に「この研究を進めさせてください」とお願いし、指導教員の専門領域とマッチするように調整して、全面的に協力していただくことができました。
ほとんどのラボでは、研究テーマの持ち込みはできないと思いますし、修士そこそこの学生の考えたテーマが必ずしも面白いとは思えないので、個人的にはこのやり方はおすすめできませんが、当時の自分は「この研究がしたい」と強く思えたので、進めさせてもらいました。
指導教員の懐の深さには本当に感謝しています。
実験をする
実験技術自体は学部生~M1の頃に培っていたものをそのまま使うことができたので、大きな困難はありませんでした。
それでも「論文化を見越した時にデータが弱いな」、「うまくメカニズムが説明できないな」という思いもありました。
そんな時に、指導教官に相談すると、「この実験をした方がいいね。〇〇大学の先生に依頼できるから、やってみよう。」と助言をいただくことができ、論文中でも重要な位置を占める解析ができました。
この経験から
- 指導教員は多少分野が違っていても、深い経験に基づいた考察を持っており、そのアドバイスを受け入れることは大切
- 共同研究者と協力し、自分が扱うことができる範囲を超えたデータを得ることが、研究の質を高めることに繋がる
と学びました。
また、論文中に載っていない実験も様々行いましたが、データ処理がうまく行かなかったり、本質的に重要でないデータなども多数ありました。
そういう意味では、論文は1つの研究の上澄みみたいな存在で、それを下支えする様々な予備実験や、使わなかったデータなどもあるのだなぁということを知りました。
原稿をかく
研究計画の冒頭で、「原稿はD1の時に書いた」という趣旨のことを書きましたが、実はM2の時にも1週間そこらで論文を書き、投稿までしましたが、見事にリジェクトされました(それも3回も)。
その後、データ処理や所属先の変更で1年ほどがたち、データがいわゆる塩漬け状態になっていました。
「論文化しなければ何もやったことにならない」
と偉い先生が言っていたことを思い出し、博士課程1年目の真ん中ほどの時期に一念発起しました。
そして、以前ささっと仕上げた原稿のクオリティに愕然とし、また新たに様々な先行研究などを整理して、論文の骨子を作りました。
結局、指導教員とのやり取りを含めて、1ヶ月くらいで論文のほぼ完成稿が出来上がりました。
やり取りでは指導教員の専門領域が論文テーマと異なっていたため、レフェリー的視点で「ここの解釈はこれでいいのですか?」「ここのロジックが分かりません」というようにコメントをしてもらう形でした。
そのため、細かく直すというよりも全体的な方針を統一することに重点が置かれていました。
ただし、推敲のスタイルは人によって違います。
というのも、最近2本目の論文を投稿したのですが、その責任著者はM1のラボの先生で、専門分野が同じなので、原稿を共同編集しながら一緒に作っていくという形でした。
どちらのやり方も非常に勉強になりましたが、読者の方がこれから論文を書かれるのであれば、最初はなるべく細かく見てもらえる先生だと進めやすいかなと思います。
ケンブリッジでの現指導教官も、書いた人を尊重するためにコメントに留めるので、自身のライティング能力が試されるなぁと思っています。
書き方としては英文を自分で書いていくというオーソドックスな方法で、文献管理ツールはMendeleyを使いました。
ただ、2報目の論文で、Google document+paperpile+DeepL translatorを使ったら、圧倒的に便利だったので、これから論文を書かれる方は、上記の組み合わせをお勧めします。
英文校正はもちろん使いました。
初稿を書いた後、自費で英文校正に出し、その原稿を指導教員と修正していきました。
おそらくは所属が変わった後でも指導教員の研究費から、英文校正費を出せるのだと思いますが、謎に忖度し、自分で先に直してしまいました。
投稿・リバイズ
M2の際には
・物理化学系の速報誌→エディターリジェクト(姉妹紙への投稿を推奨)
・微生物関連の生化学誌→レビューを経て、厳しいコメント付きのリジェクト
・最初の雑誌の姉妹紙→レビューを経てリジェクト
となり、これまでもらったレビューアーコメントを反映させて、大幅に改定することに決めました。
その後、D1で原稿を整理し直し、
・農芸化学関連誌→メジャーリビジョン→マイナーリビジョン→アクセプト
となりました。
メジャーリビジョンをもらった際には2人のレビューアーのうち、片方は「掲載のクオリティに達していないのでダメです」とかなり否定的でしたが、もう片方の方が「一定の新規性を有しています」と価値を評価してくれたあと、20箇所以上の指摘をくれていました。
指摘はデータの追加が含まれていましたが、すでに取っているデータがほとんどだったので、追加実験は全くせずに再投稿できました。
それでも修正点が多かったので、再投稿までには3週間を要しました。
その後、1週間程度でマイナーリビジョンの連絡を受けましたが、この際には否定的なレビューアーは別の方に交代していました。
マイナーリビジョンでは1箇所のみ表記上の指摘があり、それを正してアクセプトとなりました。
プループをチェックする
アクセプトされた後は、ジャーナルオフィスの方がPDFで見やすいように体裁を整えてくれます。
これをプルーフと呼び、最終原稿にしていいかどうかをチェックします。
意外とここでのミスが多くて驚きました。
図表が古い版になっていたり、表中の単位が変わっていました。
自分たちがタイポしているものなどもこの段階での修正が基本的にはラストなので、著者全員で念入りに読み直し、修正点を上げ、担当者に修正してもらいます。
プルーフを受け取るとようやく論文になる実感が湧き、非常に嬉しかったです。
オンライン公開から集録まで
元々紙媒体で出版されていたジャーナルなどにはVolume(号)やIssue(なんと訳せばいいのですかね…)があり、アクセプトされてからしばらくしないと掲載号が決まらないことがあります。
この論文も7月に最終版が公開になり、9月号に集録されました。
最終版の公開時は既にDOIが付いているので、自身のGoogle Scholarアカウントや、ORCIDとは紐づけられます。
終わりに
最初の論文はプロセスがよく見えないという点で大変でした。
それでも指導教員や共著者の方の励ましがあって、なんとか出版に漕ぎ着けることができました。
これから論文を書かれる方は、困ったら周りに相談し、自分が今どこにいて、何をすべきかを言語化することで、見えない不安も減るのではないかと思います。
私の経験がお役に立つと幸いです。